ドビュッシーの『喜びの島』

ひびぴあのブログ

今年の門下生発表会は

10月に行われます。

いつも何を弾こうか散々迷うのですが

今回はすんなり

ドビュッシー『喜びの島』に決まりました。

ピアノ科の同級生がかっこよく弾いていたのが印象深く

最近、フォーレを弾く機会もあったり

少しフランスものの経験も増えてきたので

どちらかと言うと、苦手なフランスものですが

失敗してもいいからチャレンジしてみたい!

と思ってしまいました。

今回もまずは

曲の背景を知ることから始めたいと思います。

クロード・アシル・ドビュッシーについて

1862年8月22日 フランスのサン・ジェルマン・アン・レイで生まれる 

         父は陶器商を営んでいたが、裕福ではなかった。                     

1867年 パリに住み始める

1871年 パリ=コミューンで国民軍に加わっていた父が逮捕される。

その頃から父親の知り合いのモーテ夫人から音楽を学びはじめる。

1872年 パリ音楽院に入学

1880年 伴奏科で1等賞を得る・この年から3年間、ロシアはじめ各国に楽師をつとめる

1884年 ローマに留学中、ローマ大賞を獲得。文学に関心が深かったドビュッシーは 

    ヴェルレーヌやマラルメの詩にもとづく歌曲を作曲

1893年 『弦楽四重奏曲』『牧神の午後への前奏曲』で成功をおさめ

    新進作曲家として認められたが、まだまだ生活は苦しく

    ボヘミアン生活を強いられた

1901年 ようやく一流作曲家の仲間入り ドビュッシー40歳の時

1904年 弟子の母エンマと恋愛関係に

    絶望した妻は拳銃自殺未遂 ボヘミアン時代の友人も去っていった

1905年 一粒種のシュシュことクロード=エンマ誕生

1914年 第一次世界大戦勃発 ドビュッシーは衝撃で創作力を無くす

1915年 直腸がんの手術を受ける

1917年 7月に療養地のサン=ジャン=ド=リューズでの公演が最後の演奏となった

1918年 3月25日死去 現在はパッシー(フランスの高級住宅街)の墓地に眠っている

喜びの島について

1904年に作曲

現在もルーブル美術館に所蔵されている

ジャン=アントワース・ヴァトーの

『シテール島の巡礼』に影響を受けて作曲された。

協会旋法である『リディア旋法』を使った曲である。

冒頭は長いトリルで始まり

カデンツァ(即興的に自由に演奏する部分)のように

演奏するので個性がでるところ

(いろいろなピアニストを弾き比べると面白い)

美しい島で喜びに満ち溢れて

天真爛漫にはしゃいでいる様子が

スキップしているようなリズムで表現されている。

最後のクライマックスには

冒頭と同じメロディーが繰り返され

華やかなトレモロで一気に盛り上がり

6音の下行する装飾音符を素早く弾き

最低音の『ラ』で完結する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました